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どうも、ボクです。



昨日の続き。



昨日帰ってきて、すぐに友達の家に飲み行って、いろいろ参考になったことだけでなく愚痴を言ってしまった。そして、一日経ってその時の感情とは違うものが見えてきた気がする。友達の家でも言った愚痴は実際どうでもよくなってきた。他の人がどうこうと言うよりは、「自分はどうなのか?」ということを考えるべきなのではないのか?人を非難できるほど自分は大成した器の人間なのか?他の人を批判している余裕は自分にあるのか?晩飯のスパゲティをゆでながら自問自答していた。批判している自分は何なのか。自問自答していた。そして、自分は恥ずかしい人間だと思った。薄っぺらい人間だと思った。ここにこう書くことで少しでも改善できたらいいと思う。



でも、この合宿で自分に足りもののひとつが明確になった。それは論理力。自分の意見を通すにはそれ相応の筋道の通った論理で説明、説得しないといけないと感じた。それが誰から見ても正しいものであったとしても、論理力がなければそれは正当に評価されない。全員が必ずしも納得し得ないような意見や発言者にしか利益のでないような意見であっても、それに対する反論をうまく論理立てて言わないとその意見を覆すことができないと感じた。この文章自体もしっかりと論理立てて書かないと今感じている思いもちゃんと伝わらない。そもそも論理力ってなんなの?って書きながら思ってきたけど…。



まぁ、とにかく言いたいことは、自分が今いるフィールドもこの先に待ち受けているであろうフィールドでも、言葉の力がモノを言う世界だということ。自分の意図を伝える、相手の意図を理解するということを途中で諦めたり、相手の言葉に対して言葉以外の力で解決しようとしていると成功できない世界だということ。



自分の場合だと、理解することを途中で諦めてしまっていることが多々あると思う。自分の意図が相手に伝わらなかったり、認められなかったり、批判されるとムッとして、その後をナゲヤリにしてしまうことが多い。ホントにガキだ。そしてそういった感情をすぐに表情に出してしまう。さらにガキだ。



だから、今まで自分が愚痴を言ってきたり、批判してきたことの多くはそんな妥協した姿勢が生み出しものだったのではないかと思うと恐ろしくなってくる。穴があるなら隠れたい思いです。どんなことに対しても上っ面だけで考えてモノを言ったり、行動するとロクなことがない。今日の情熱大陸に出ていた人も言っていた気がするし、昨日の友達の家でも友達の一人が言っていた気がする。もっと貪欲に学んだり、考え込んだりする必要があるだろう、ガキの自分には。








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